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福岡高等裁判所 昭和28年(う)2155号 判決 1953年11月09日

控訴人 被告人 富安重行 外六名

弁護人 副島次郎 外一名

検察官 白土八郎

主文

原判決中有罪部分を破棄する。

本件を原裁判所に差し戻す。

理由

弁護人副島次郎の控訴趣意は記録に編綴されている同弁護人及び弁護人高木厳各提出の控訴趣意書記載のとおりであるからこれを引用する。

弁護人副島次郎の控訴趣意第二点及び弁護人高木巖の控訴趣意第一点について。

原判決が原判決(一)(三)(五)の各事実認定の証拠として所論引用の赤司彌作、坂井市太郎、原初次、原福次郎、坂井伊三郎、坂井太作、坂井十太郎、松延彌太郎、松延近雄、重松菅雄、今村伊吉、中村鶴松、中園勇、古賀勝義、中川嘉市、市川重吉、野田富蔵、坂井伍郎、鬼木利平、江頭金吾の各供述調書(作成日附いずれも昭和二十七年十二月十三日のもの合計二十通)を採用していることは原判決に照し明白である。しかして原審において右書類はいずれも検察官作成に係る供述調書即ち刑事訴訟法第三百二十一条第一項第二号によるものとして検察官より証拠請求がなされ原審は訴訟関係人の異議に係らず同号該当書面として其の証拠調を為したことも記録上明瞭である。しかるところ凡そ刑事訴訟法第三百二十一条第一項第二号に所謂検察官の面前における供述を録取した書面とは検察官自らが供述者を取り調べその供述を自から又はその取調べに立会つた検察事務官において録取しその内容を供述者に閲覧させ又は読み聞かせて其の相違なき旨を確かめ然る後供述者、作成者及び録取者共に署名押印したものを指称するのであつて検察事務官のみが供述者を取り調べ、その供述を録取した後検察官立会の上その内容を供述者に読み聞かせ其の相違なき旨を確かめ供述者、検察事務官及び検察官共に署名をなした書面の如きは刑事訴訟法第三百二十一条第一項第二号の書面に該当しないものと解すべきである(検務局係官が検察官の会同においてなした質疑回答……最高裁判所事務総局昭和二十七年七月刑事手続法規に関する通達質疑回答集参照)。そこで前記供述調書の内坂井伍郎の第一回供述調書、鬼木利平の第三回供述調書、江頭金吾の第二回供述調書につき検討して見ると右はいずれも昭和二十七年十二月十三日附井上検事作成名義の調書であつで録取者は坂井については山内検察事務官他の二名については権藤検察事務官であることが右各調書自体に徴し明白であるところ原審第七回公判調書中証人坂井伍郎、鬼木利平、江頭金吾、山内典一、権藤利光の各供述記載を綜合すると此等の調書は山内又は権藤の各検察事務官が前記三名の取調べをなしその供述を録取した後読聞かせの際井上検事が同席し各供述者、井上検事、各録取者が夫々右各調書に署名押印した事実が認められるのであるからこれを目して刑事訴訟法第三百二十一条第一項第二号に所謂検察官の面前における供述を録取した書面と謂い得ないのは勿論である。従つて右坂井、鬼木、江頭の各調書を同号該当書面として採用した原審の措置は採証の誤をおかしたものと謂わざるを得ない。次に右三調書を除く爾余の前記十七個の各供述調書につき検討して見ると該調書もすべて昭和二十七年十二月十三日附井上検事作成名義であつで録取者は山内、権藤の外吉田、田中、赤穂、笠の各検察事務官であることが右調書自体により明白であるところ本件記録に徴すれば井上検事は昭和二十七年十二月十三日単独にて古賀米蔵、古賀喜久次、田中盛二の三人を取調べた外吉田事務官立会の上被告人坂井政長をも取調べてその調書を作成しでいることが明認せられ従つて形式上同日だけで合計二十一名分(前認定の坂井、鬼木、江頭の分を除く)の合計八十八枚に亘る供述調書を作成したこととなるのである。しかし右の如く二十一名分合計八十八枚の供述調書を同日内に作成することは経験則に照し全く不可能と謂わざるを得ない。然らば前記赤司彌作外十六人の供述調書(前示二十通の内坂井、鬼木、江頭の分を除く)も亦夫々当該録取者である検察事務官等のみが各供述者を取り調べその供述を録取した後において井上検事が同席の上その内容を供述者に読み聞かせその相違なき旨確かめて井上検事、当該録取者及び供述者がこれに署名押印したものではないかと疑うべきは理の当然である。然るに何等此点を審究することなく漫然該調書を刑事訴訟法第三百二十一条第一項第二号に該当する書面としてその証拠調をなした原審の措置は審理不尽のそしりを免かれない。更に原判決が原判示(二)及び(四)の証拠として引用した所論実藤市蔵の検察官に対する供述調書は作成名義人検事井上亮とあるを検事大坂盛夫と訂正したものなること同調書自体に徴し明かなるところ中園喜久雄、坂井政長の検察官に対する各供述調書も右同様作成名義人検事井上亮とあるを検事大坂盛夫と訂正せられあることが当該調書により明認せられるのである。しかして此等調書もすべで形式上検察事務官立会の上昭和二十七年十二月十三日附を以て作成されている事実と前段説明した如く同日附井上検事名義の多数調書が作成せられた事実とに思を致すとき右実藤市蔵の検察官に対する供述調書も亦前同様検察事務官のみにより録取せられたのではないかと疑わざるを得ない筋合となる。従つて原審が此の点を究明せず漫然証拠として採用したのも審理不尽の違法があると断ぜざるを得ぬ。しかも以上の違法はいずれも判決に影響を及ぼすこと明瞭である。右の次第により他の控訴趣意に対する判断を為すまでもなく原判決は刑事訴訟法第三百九十七条により破棄を免れない。結局論旨はいずれも理由がある。

そして当裁判所は本件記録及び原裁判所において取調べた証拠によつて直ちに判決をすることは相当でないものと認め他の控訴趣意についての判断を省略し原判決中有罪部分を破毀した上、刑事訴訟法第四百条本文に従い本件を原裁判所に差し戻すこととし、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 下川久市 裁判官 青木亮忠 裁判官 鈴木進)

弁護人副島次郎の控訴趣意

第二点原判決は採証の法則に違背して有罪を断じた違法があると信じます。即ち、原判決が有罪の認定に採用した証拠のうち次のものは何れもその証拠としての適格を欠いでいます。

イ、原判決が犯罪事実一の1、認定に証拠として用いた坂井伍郎の十二月十三日附検事調書、同じく一の2、認定に証拠として用いた鬼木利平の十二月十三日附検事調書、同じく三の1、認定に証拠として用いた江頭金吾の十二月十三日附検事証書は、証拠能力を欠いで居る最も著しい例であると信じます。同人等は十二月十三日附調書は井上検事の調書となつているに拘らず第七回公判廷に於て宣誓の上証人として証言して「井上検事から十二月十三日に取調を受けたことは無い」と当の井上検事自身の面前で断乎として言い切つて居ります。純朴なおどおどせる農村人が検事本人の面前でこうまで判つ切りと言い切る証言に嘘があるとは思われません。本件の証拠として法廷に検事から提出された調書のうち井上検事御署名の十二月十三日附の分が二十三四通あります。到底そんな多数の証人を一日にしで取調べその結果を本記録上明らかな如くそんなに長く枚数多く録取出来ないことは明白であります。少くとも此の三人分の問題の検事調書は真実は検事調書でもなんでもないものであり本弁護人は調書の性格から考え斯る既に形式的に偽りや作為のある調書は全然無効のものであると信じます。第七回公判に於ける権藤、山内、両検察事務官の証言によると同事務官が取調べ陳述を聴取して、之をそのまま調書に記載し供述者に読聞かせる時になつてから井上検事が近くに来て居て、供述者は署名押印したと言うことでありますが、坂井、鬼木、江頭の三人は共に井上検事が少くともその時でも来席されたことを否定しています。勿論本弁護人は読聞かせの際井上検事が来席されたことを否定する者ではありませんが、供述者が検事の来席に気付かず、之を知らなかつたことは法的に意味があると信じます。本弁護人は斯くの如く検事の来席に供述者が全然気付かなかつたと言う様な場合はその調書は刑訴法第三二一条の所謂検察官の面前に於ける供述調書には当らないと解します。又仮にそれに気付いたとしても唯録取の後読聞けの時に検事が立会つた位ではその調書は右法条の検察官の面前に於ける供述録取書に当らないと解します。検察官自らその供述する始終に立会つて之を聴取したものでなければならないと信じます。果して然らば右三通の調書は刑訴法第三二一条の検察官の面前に於ける供述を録取したものとは認め難く、せいぜい同条三号書面に過ぎません。然かしながら前にも述べた如く本弁護人は寧ろ斯る調書は検事調書でも事務官調書でもなく全く法律上無効のものと信じます。法務省検務局長の質疑回答も、本件のようなやり方の調書を違法だと決しています。仮りに以上本弁護人の見解が誤りであるとしても少くとも斯る調書は刑訴法第三二一条の言う「信用すべき特別の情況」が無いと信じます。然るに原判決は弁護人の不同意を拒け証拠調を敢行し更らにその証拠調に対する弁護人の異議申立を却下し有罪認定の証拠として採用しています。

ロ、本弁護人は右の坂井、鬼木、江頭三名以外の調書についても、同じ理由で証拠能力の無いものであることを信じます。同日、同所で作成された調書のうち井上検事名義のものが他にも多数あります。一の1認定の証拠として用いられた古賀勝義(第二回)、中川嘉市、野田富蔵、市川重吉(第三回)、田中盛二、中園勇の各調書、一の2認定に用いられた中村鶴松、今村伊吉の各調書、三の1認定に用いられた古賀勝蔵(第二回)、松延近夫、赤司彌作の各調書、三の2認定に用いられた古賀勝蔵(第二回)、江島浅市、松延近夫、赤司彌作、古賀喜久次、松延彌太郎の各調書、五の1認定に用いられた坂井十太郎、坂井太作の各調書、五の2認定に用いられた坂井市太郎の調書、五の3認定に用いられた原初次、原福次郎の各調書、以上は皆然りで、その中に権藤、山内両事務官の署名のものが多数を占めで居るが之等はその前掲証言によつで坂井、鬼木、江頭の調書と同一過程で作られたことが明白であるから同一理由によつで証拠能力なきものと認めます。右両事務官以外の分といえども右の如き両事務官の証言ある本件に限つては、少くとも同日同所の井上検事御署名の分は同じ過程で作成されたものと一応考えるが当然でありますから特に何等かの根拠なき以上、凡で「信用すべき特別の情況」なきものと考えざるを得ないと信じます。本弁護人は以上の採証上の違法は少くとも一の1、2、三の1、2、五の1、2、3の事実に関して判決に影響を及ぼしでいると信じます。何故なれば、多数の証拠中の一、二なら格別、斯る多数の証拠が採証の法則に違反しで犯罪認定上に用いられているのであるから、何等判決に影響なしとは論じ難いと信じます。

ハ、本件事実、一の1、2、の認定証拠として用いられた中園喜久雄の十二月十三日附検事調書は初め井上検事御署名あつて、後にその署名が抹消され大坂検事御署名に変更されているが、然かもその抹消印は大坂検事のそれではなく井上検事の印のみを押捺してあります。検事の署名捺印が抹消されて変更されること自体がどうかと思われるのに此の場合、その抹消は現在の作成名義人である大坂検事の関知しない所やに窺われる。斯る重大なる点についての変更訂正は同調書自体の信用性に疑を持たざるを得なくなります。即ち本調書も亦刑訴法第三二一条の「信用すべき特別の情況」の認められないものであるから之を証拠とした原判決はその点に於て違法であると信じます。

ニ、前記、鬼木利平、坂井伍郎、江頭金吾、中園喜久雄、原福次郎の各検事調書、および一の2事実認定に用いられた新谷学の検事調書は前記の理由の外にまた取調官の強要による供送として「信用すべき特別の事情」がないから証拠能力がない。之等を不同意に拘らず証拠にとつた原判決は採証の法則に違反せるものと信じます。同人等は夫々公判証言の際、右調書が強要に基くことを極力陳述して居り、之を否定するに足る証左は皆無であるのみならず、むしろ肯定すべき内容をなしていることは第一点で詳論した通りである。

ホ、実藤市蔵の警察、検事調書、高三瀦新の同調書、大石豊二の同調書、坂井長政の同調書、首藤謙の十二月十八日附検事調書は同人等が公判でその強要に基くものなることを極力主張して居り、他に反対の証左のないのみならず内容上首肯すべき点あつて任意性のないものであることは明らかである。任意性の無い調書は例え同意書面であつても証拠能力を欠いている。然るに原判決は之を断罪の証拠とした違法があります。また右のうち十二月十三日附の実藤、坂井の検事調書は前記のハと同じ理由もある。

ヘ、原判決が断罪の証拠としている江島浅市、大隈徳太郎、中園定衛、蒲池、原卯次郎、古賀米蔵、松延彌太郎、古賀喜久治、松延近雄、重松菅雄、下坂健蔵、今村伊吉、中村鶴松、田中実、古賀勝義、中川嘉市、田中盛二、市川重吉、野田富蔵の検事調書は前記の各理由の外に、更にまた、同人等が証人として公判廷にて尋問された際本件に関する証言を拒否しているから憲法保証の反対尋問が出来なかつたので証拠能力のないものと信じます。

(その他の控訴趣意は省略する。)

弁護人高木巖の控訴趣意

第一点原判決は証拠によらないで事実を認定し、或は法律上無効の証拠書類を証拠とした違法がある。

原判決認定の事実は(一)被告人富安重行、同首藤謙、同富安靖雄は共謀の上(1) 昭和二十七年八月三十一日午後五時頃、城島町富安重行方における選挙人権藤尚二、中園喜久男等十二名に対する酒食の饗応接待 (2) 同年九月九日頃の午後四時半頃同所で選挙人権藤尚二等十二名に対する酒食の饗応接待 (二)被告人実藤市蔵の被告人高三瀦新、同大石豊二に対する投票買収費等一万五千円の交付 (三)被告人高三瀦新の(1) 同年九月二十六日午後六時頃城島町農協下田支部における古賀米蔵等七名に対する饗応接待 (2) 同年九月三十日午後五時頃同所における赤司彌作等七名に対する饗応接待 (四)被告人高三瀦新、同大石豊二共謀の上実藤市蔵から一万五千円の交付を受け (五)被告人実藤市蔵、同坂井政長共謀の上(1) 同年九月十四日頃城島町大依部落坂井十太郎方で同人等五名に対する清酒三升の供与の申込 (2) 同年九月十八日頃同町大依部落で坂井市太郎等十八名に対する清酒三升の供与の申込 (3) 同年九月二十二日頃同町大依部落で田中実に対する清酒三升の供与の申込であつて、その認定について原判決が採用した証拠書類は之を分類すると(一)被告人七名の司法警察員に対する各供述調書(二)被告人七名の検察官に対する各供述調書(三)権藤尚二、中園喜久男等約三十人の検察官に対する供述調書等である。今此の供述調書中昭和二十七年十二月十三日検察官井上享が北三瀦地区警察署(城島町所在)に出張し多数の検察事務官立会の上で取調べ録取読聞けたと称し刑事訴訟法第三百二十一条第一項第二号に所謂「検察官の面前における供述を録取した書面」として証拠調を請求し弁護人等の異議にも拘らず原審が証拠として採用し且之を唯一の証拠として被告人七名に対し有罪の判決をした違法な証拠書類は次の通りである。(1) 赤司彌作(三三二丁-三三九丁 吉田事務官)(2) 古賀米蔵(三四〇-三四六)(3) 坂井市太郎(三四四-三四六、吉田事務官)(4) 原初次(三四七-三四九、同)(5) 原福次郎(三五〇-三五三、田中事務官)(6) 坂井伊三郎(三五四-三五六吉田事務官)(7) 坂井太作(三五七-三五九、赤穂事務官)(8) 坂井十太郎(三六〇-三六二、同)(9) 松延彌太郎(三六三-三六六、笠事務官)(10)古賀喜久次(三六七-三六八、)(11)松延近雄(三六九-三七三、笠事務官)(12)重松菅雄(三七四-三七七、権藤事務官)(13)今村伊吉(三九一-三九三、吉田事務官)(14)中村鶴松(三九四-四〇〇、田中事務官)(15)中園努(四〇五-四一〇、同)(16)古賀勝義(四一七-四二〇、山内事務官)(17)中川嘉市(四二六-四三二、笠事務官)(18)田中盛二(四三八-四四一、)(19)市川重吉(四四七-四五二、権藤事務官)(20)野田富蔵(四五三-四五八、山内事務官)(21)坂井伍郎(四五九-四六三、同)(22)鬼木利平(四六四-四七一、権藤事務官)(23)江頭金吾(四七二-四七六、同)(24)坂井政長(吉田事務官)。右の通り井上検察官は十二月十三日検察事務官の立会なく単独で古賀米蔵、古賀喜久次、田中盛二の三名を取調べたことになつておるが此の外に吉田事務官立会で六人(赤司彌作、坂井市太郎、原初次、坂井伊三郎、今村伊吉、坂井政長)田中事務官立会で三人、(原福次郎、中村鶴松、中園勇)、赤穂事務官立会で二人(坂井太作、坂井十太郎)、笠事務官立会で三人(松延彌太郎、松延近雄、中川嘉市)、権藤事務官立会で四人、(重松菅雄、市川重吉、鬼木利平、江頭金吾)山内事務官立会で三人(古賀勝義、野田富蔵、坂井伍郎)合計二十一人、総計二十四人を取調べたことになつておる。この外に同日に吉田事務官立会で作成された坂井政長の供述調書(五六五 五七一)及赤穂事務官立会で作成された実藤市蔵の供述調書(四九六-五〇二)はいずれも検察官井上享の署名を大阪盛夫と訂正されており尚氏の外同日同警察署に出張して検察官重松長次郎が、江島浅市(三〇一-三〇二)大隈徳太郎(三〇三-三〇六)下坂健蔵(三〇七-三一〇)中園定衛(三一二-三一五)蒲池享(三一六-三一九)原卯次郎(三二〇-三二三)の六人を取調べた供述調書がある。之によつて判断すれば昭和二十七年十二月十三日土曜の午後に久留米検察庁の大阪検事、井上検事、重松副検事、吉田、田中、赤穂、笠、権藤、山内の六事務官が北三瀦地区署に出張して被告人及参考人を取調べたことが判明し大坂検事が二人、井上検事が三人重松副検事が六人を親しく自ら取調べて、その他の二十一名は井上検事が取調べたことに形式上はなつているけれども、実際は立会の検察事務官が取調べて作成した供述調書に井上検事が後に署名をしたのに過ぎないものと思われるのであつて、この供述調書はそれぞれ吉田事務官が六人、田中事務官が三人、赤穂事務官が二人、笠事務官が三人、権藤事務官が四人、山内事務官が三人を取調べて刑事訴訟法第三百二十一条第一項第三号の書面を作成したものと思われる。この事は第七回公判期日に鬼木利平、坂井伍郎、江藤金吾が証人として自分等は現にこの公判廷に立会つておる井上検事の取調を受けたことはないと証言していることからも明白であつて土曜日の午後に久留米から城島の検察署に出張して犯罪捜査をして特に選挙事犯の取調と調書作成は複雑であるから普通には二人か三人或は多くて五、六人を取調べて調書を作成するのが我等の良識と経験則から見て真実妥当な仕事量であると思われる。原審に於て本件公判立会中の井上検事の取調を受けた二十数名の関係人を全部証人として申請し、之を立証することは弁護人の良心が許さないのでこれは原審裁判所の判断に委せることにし第九回公判に於て上村弁護人が「提出された証拠を見れば同一の検察官が同日に二十数人もの取調を行つている。併し吾人の考えるところ普通一般の検察官の能力を以てしては一日にかかる多人数の取調は行い得ないと信ずる。従つて各供述調書が刑訴法第三百二十一条第一項第二号所定の検察官の面前に於ける供述を録取した書面とは認められず証拠能力なしといわざるを得ない。」(六七七丁-六八一丁)と述べておる通り被告人の供述以外に原判決有罪認定の大部分の証拠が右の通り訴訟法上無効のものであるに於ては原判決は証拠とすべからざる書面を証拠としたか或は証拠によらずして事実を認定したか少くとも原判決はこの点に於て違法でありこの違法は判決に重大なる影響を及ぼすこと極めて顕著であるから此の点に於て原判決は到底破棄を免れない。尚本件に限らず近時検察事務官作成の供述調書に検察官が署名する例がだんだん増加の傾向あるやに見受けられ先年の刑事局長通牒が段々忘れられつつあるのではないかと憂慮される折柄裁判所に於て断乎としてそんな供述調書の証拠力なきことを宣言していただき度い。

(その他の控訴趣意は省略する。)

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